2016/01/25

雑記(3) -養源院の紹介-

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なかなか更新出来ず、申し訳ありません。m(_ _)m

今回は僕の大好きな寺院を一つ、紹介したいと思います。







三十三間堂の側にある 養源院 という寺院です。


数多くの神社仏閣が存在する京都ですが、ガイドブックにはあまり載っていない神社仏閣も多いです。

ここ養源院もなかなかガイドブックには載せられていない寺院ですが、養源院はとても見所満載の寺院です。


まずは、養源院の歴史から……

文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した。浅井長政・久政は天正元年(1573年)、小谷城で自刃している。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印である。その後、元和5年(1619年)、火災により焼失。元和7年(1621年)、淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興された。以後、徳川氏の菩提所となった。もと天台宗で第二次大戦後に浄土真宗遣迎院派に改宗した
 (引用:Wikipedia)

織田信長の妹、お市の長女である淀が創建、一度焼失したが、三女である江(ごう)が再建した寺院です。

淀は豊臣方の人間ですが、入口に掛けられた三つ葉葵の紋で、現在徳川の寺院だということがわかります。

また、ここ養源院には徳川二代将軍秀忠とその妻である江の位牌があるのですが、その位牌には天皇家の紋である菊(江は後水尾天皇の中宮、妻となる和子(まさこ)を産んでいます)、豊臣家の紋である桐、徳川家の紋である葵の紋、以上三種類もの紋が入っています。(近くでは見れませんが……。)


そんな養源院ですが、一つ目の魅力は俵屋宗達の杉戸絵です。

小さな寺院なのですが、ここには琳派の祖である俵屋宗達が描いた杉戸絵が間近で見られます。

俵谷宗達といえば、建仁寺の国宝、風神雷神図が殊に有名ですが、ここ養源院の獅子、麒麟、白象の絵も重要文化財に指定されています。





二つ目の魅力は、血天井 です。


血天井とは……

関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。
 (上記、養源院のWikipediaより引用)

1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦であった伏見城の戦いで飛び散った生々しい血の跡が付いた城の床板を、供養のために養源院の天井板として用いた、という訳です。


書いているだけでも、不気味なものがこの養源院にはあるんだなあと鳥肌が立ちます。 

血の跡と言っても、鮮血のように真っ赤な跡として残っている訳ではなく、黒く変色していますが、血の付いた手形、足形、そして割腹の際の姿まで、はっきり見て取れます。(血天井のある寺院はいくつかありますが、割腹自殺の姿が跡として残っているのは、ここ養源院だけだそうです。)

割腹自殺の跡は、伏見城を守っていた東軍大将、鳥居元忠公のものだそうです。

伏見城の戦いのWikipedia では、元忠公は首を刎ねられて亡くなったとあるので、この記述が真ならば、頭から足まで全身が見て取れる割腹自殺の跡は元忠公以外の将兵のものということになりますが、まあそこは深く突っ込まずにいましょうか……。

個人的な意見ですが、「歴史は信じた者勝ち」だと思っていますので(笑)。


そんな生々しい血の跡が養源院では見られます。

正直、不気味だとか気持ち悪いというご感想を持たれる方も多いかと思いますが、私はここの血天井を見たとき、本当に来て良かったと思いました。


また秋頃には、参道の紅葉がとても綺麗です。

小さな寺院ですが、紅葉のシーズン中の東福寺や永観堂に比べて、人は少ないかと思われます。


一つ、残念なことを挙げるならば、見所満載なのにそれを自由に見て回れないことですね。

ここ養源院は、一人ガイドさんが居て、ラジカセ(解説のカセット)を持ちながら色々と解説して下さりながら、中を見て回ります。

つまり、このガイドさんの進行に付いて行かなければならず、自分の好きなように見て回ることは出来ません。(まあ、何周してもいいので隅々まで見て回ることは可能ですがね(笑)。)

あと、英語でのガイドは行っておられないそうです。





こんな感じの案内板はあるので、外国人観光客が来ても仕方ないと思いますが、ガイドブックに載らない寺院なので、外国人観光客の対応に慣れていないのかもしれませんね。



Yogen-in Temple is a small temple near Sanjusangen-do Temple.
In this temple, you can see some paintings on cryptomeria doors of Tawaraya Sotatsu, who is a founder of the Rimpa School.
One of his most famous paintings is "The Wind and Thunder Gods(Fujin-Raijin)", but the paintings in Yogen-in Temple are also amazing.

Moreover, you can see "the bloody ceilingboards(Chi-Tenjo)", which are remains of the Battle of Fushimi-jo Castle.
In 1600, the battle, which is the pre-battle of the Battle of Sekigahara, occurred and many garrisons of Fushimi-jo Castle were killed, but the dead bodies were left under summer days.
Their blood soaked into the floorboards and the bloody trails of hands and feet, even the figure which the head commander Torii Mototada committed hara-kiri(cut the stomach by himself) were not removed.
When rebuilding Yogen-in in 1621, the floorboards were used as ceilingboards for mourning for the dead. (Yogen-in burned once in 1619.)

Yogen-in Temple are very attractive, I like this temple very much.
However, there are not English leaflets and guides which speak English in this temple.
I am very happy if you get interested in Yogen-in Temple, but when visiting there, you have to understand Japanese and tell the staffs that you understand Japanese.
It is very regretful. 


では、今回はここまでにしたいと思います。

次回はちゃんと英語表記も採り上げた記事を書きたいと思います。 




-Good English, Good Japan-
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