Kyo-Boyです。
8月も終わりに近づき、京都の猛暑も少し弱まってきました。
今回採り上げますのは……
京都のパワースポットとしても知られています 晴明神社 です。
"陰陽師"、"安倍晴明"という言葉はお聞きになったことあるかと思います。
この神社は、平安時代活躍した陰陽師の安倍晴明を祭神として祀る神社です。
また、ここ晴明神社はその安倍晴明を祀っていることから、パワースポットとしても知られており多くの参拝者で賑わっております。
最近ですと、フィギュアスケート選手の羽生結弦選手がこの陰陽師の曲を使われたことで話題になりました。
簡単なご紹介をさせていただきまして、では早速英語表記を見てみる……
その前に……
陰陽師って何(・ω・?)
陰陽師の具体的な仕事って何(・ω・?)
安倍晴明って一体何者(・ω・?)
と、いう疑問はごもっともかと思います。
私も陰陽師について、よく知りませんでした。
神社の由来、英語表記よりも、まずは陰陽師と安倍晴明について触れようかと思います。
まずは、陰陽師とは……
古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術など方術や、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し[1]、中には神職の一種のように見られる者も存在する。
安倍晴明公(920-1005)は、孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の御後胤で、幼い頃から非常に多くの道に秀でておられました。特に、天文暦学の道を深く極められ、式神を思いのままに操る霊術をも身に付けられておりました。
成人されてからは、天文陰陽博士としてご活躍。天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたと伝えられています。
晴明公は、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。村上帝に仕えておられた際には、唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれ、帰国後、これを元に日本独特の陰陽道を確立されました。今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法は皆、この時に創られたものです。
そして、一条帝に仕えておられた寛弘2(1005)年9月 26日、85歳でお亡くなりになりますが、晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……」。そうした評判が、今も多くの人々に語り継がれています。
いわゆる昔の一条戻橋が残っています。
北斗七星のように配置された石ですね。
現在晴明神社のあるところは、かつての千利休の屋敷があったところです。
安倍晴明の館跡でもあるんですがね。
ツイート
8月も終わりに近づき、京都の猛暑も少し弱まってきました。
今回採り上げますのは……
京都のパワースポットとしても知られています 晴明神社 です。
"陰陽師"、"安倍晴明"という言葉はお聞きになったことあるかと思います。
この神社は、平安時代活躍した陰陽師の安倍晴明を祭神として祀る神社です。
また、ここ晴明神社はその安倍晴明を祀っていることから、パワースポットとしても知られており多くの参拝者で賑わっております。
最近ですと、フィギュアスケート選手の羽生結弦選手がこの陰陽師の曲を使われたことで話題になりました。
簡単なご紹介をさせていただきまして、では早速英語表記を見てみる……
その前に……
陰陽師って何(・ω・?)
陰陽師の具体的な仕事って何(・ω・?)
安倍晴明って一体何者(・ω・?)
と、いう疑問はごもっともかと思います。
私も陰陽師について、よく知りませんでした。
神社の由来、英語表記よりも、まずは陰陽師と安倍晴明について触れようかと思います。
まずは、陰陽師とは……
古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術など方術や、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し[1]、中には神職の一種のように見られる者も存在する。
(引用:wikipedia)
このwikipediaの記述、なかなか難しく書かれていますね。
ざっと掻い摘んで書くと……
陰陽師のお仕事は占術、つまり占い です。
陰陽師は映画やスマホゲームにも採り上げられており、そこでは怨霊や陰陽師同士で戦うように描かれていますが、占いが主な仕事です。
ではでは、安倍晴明とは……
成人されてからは、天文陰陽博士としてご活躍。天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたと伝えられています。
晴明公は、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。村上帝に仕えておられた際には、唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれ、帰国後、これを元に日本独特の陰陽道を確立されました。今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法は皆、この時に創られたものです。
そして、一条帝に仕えておられた寛弘2(1005)年9月 26日、85歳でお亡くなりになりますが、晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……」。そうした評判が、今も多くの人々に語り継がれています。
(引用:晴明神社ホームページ)
ここで記述されていますが、陰陽師の主な仕事に天体観測もあります。
安倍晴明は陰陽師の筆頭、数々の逸話、伝説を持つ人物です。
その逸話は晴明神社でも、ホームページでも紹介されています。
どれもこれも、なかなかに信じ難い話ではありますが、安倍晴明はいわゆる神通力を持っていたとも言われております。
その人智を超えた力を持つ安倍晴明を祭神に祀っているここ晴明神社だからこそ、多くの人に参拝される人気神社となったのだろうと思います。
その安倍晴明の数々の逸話に登場するのが式神です。
晴明神社の入り口傍にある式神像です。
お爺さんにもお婆さんにも見える像ですが、式神です(笑)。
安倍晴明はこの式神をある場所に隠していたと言われていますが、その場所というのが……
晴明神社の傍にある 一条戻橋 です。
片側一車線の狭い橋ですが、橋の下は暗くて少し怖くもありますね。
ちなみに、橋の上ではなく橋の下を歩いていただくのがオススメです。
ちなみに、橋の上ではなく橋の下を歩いていただくのがオススメです。
ちなみに、ここ一条戻橋から西へ向かうと、妖怪で盛り上げようとしている大将軍商店街という商店街があります。
では、晴明神社の境内へ入っていきますと……
もう一つ一条戻橋があります。
安倍晴明公とも縁深い一条戻橋は、平成7年に架け替えられ、現在も晴明神社から南へ100メートルのところにある堀川に架かっています。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしです。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を境内に再現しています。
では、晴明神社の境内へ入っていきますと……
もう一つ一条戻橋があります。
安倍晴明公とも縁深い一条戻橋は、平成7年に架け替えられ、現在も晴明神社から南へ100メートルのところにある堀川に架かっています。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしです。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を境内に再現しています。
(引用:晴明神社ホームページ)
一条戻橋の歴史は、現在の一条戻橋の傍に案内板が立ってます。
ということで、太陽と月の像です。
また、境内の中には
北斗七星のように配置された石ですね。
あまり知られていないと思いますが……
現在晴明神社のあるところは、かつての千利休の屋敷があったところです。
安倍晴明の館跡でもあるんですがね。
晴明神社は現在の位置より東にあったという説もあります。
ただ現在、晴明神社は安倍晴明の屋敷跡であり、千利休の屋敷跡でもあります。
勿論、二人の実在した時代というのは500年近く離れていますので面識はなかった……と思いますがね。
境内入って右横、手水のすぐ傍に晴明井という名水が湧き出ています。
千利休もこの水を使って茶を点てたとありますね。
晴明井の傍の手水の中には、綺麗な桔梗。
ここ晴明神社の社紋にもなっている花です。
別名五芒星とも言われています。
本殿と安倍晴明像です。
映えるようにちょっと意識して撮影してみましたが、写真というのは難しいですね(笑)
御神木の楠です。
厄除桃です。
桃を食べて若返った老夫婦の間にできたのが桃太郎、というのが史実らしいです。
千利休もこの水を使って茶を点てたとありますね。
晴明井の傍の手水の中には、綺麗な桔梗。
ここ晴明神社の社紋にもなっている花です。
別名五芒星とも言われています。
本殿と安倍晴明像です。
映えるようにちょっと意識して撮影してみましたが、写真というのは難しいですね(笑)
御神木の楠です。
厄除桃です。
桃を食べて若返った老夫婦の間にできたのが桃太郎、というのが史実らしいです。
画像大量になり失礼致しました。
長くなりそうなので、ここで一旦区切ろうかと思います。
長くなりそうなので、ここで一旦区切ろうかと思います。
次の記事で英語表記を採り上げていこうと思います。
-Good English, Good Japan-
0 件のコメント:
コメントを投稿