2017/05/16

護王神社の英訳 -京都府-

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Kyo-Boyです。

前回の記事から2か月以上経ってしまいました。m(_ _)m

春……。出掛けるには絶好の季節となりました。

今回は……




京都御所のすぐ傍にある 護王神社 です。


ここ護王神社は、2枚目の画像にもチラッと映ってますが猪で有名な神社です。

また、ここに祀られているのは奈良時代の貴族、和気清麻呂公です。






狛犬ならぬ狛猪ですね。

神社を守護する動物が犬以外である神社はいくつか見受けられます。

当BLOGでも、その一例でウサギを祀っている岡崎神社を採り上げました。(こちらもどうぞ→岡崎神社の記事

もちろん、犬ではなく猪を神使として祀っているのには理由があります。


ちょっと字が小さいかもしれませんが、要するに……

「奈良時代、力を持っていた僧道鏡に鹿児島へ流された和気清麻呂を猪が助けた」

というなんとも不思議なお話から、ここ護王神社では猪を祀るようになったそうです。

また、和気清麻呂は足が少々悪かったそうですが、その足も知らぬ間に癒えていたという伝説から

ここ護王神社は足腰の神社としても知られています。



さて、何度も登場しています和気清麻呂という人物についてですが……


奈良末期・平安初期の公卿。備前の人。道鏡が皇位に就こうと企てたとき、宇佐八幡の神託によりこれを阻止して怒りを買い、大隅(おおすみ)に配流。道鏡の失脚後、光仁・桓武天皇に仕え、平安遷都に尽力した。
(引用:デジタル大辞泉)


平たく言ってしまえば、奈良時代の貴族です。

時の天皇に寵愛を受け、力を付けた僧侶道鏡を排斥しようとしたが故に、島流しに遭ってしまった悲運の貴族です。


また、護王神社ですが……





日本の古い紙幣に描かれています。

これは知らなかった……。


ざっと護王神社のポイントを採り上げましたが、歴史にも触れてみます。


護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしています。
確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。
江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。
明治19年(1866)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座。後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀りました。
その後、崇敬者により境内の霊猪像(狛いのしし)が奉納され、「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれています。




で、護王神社の英語表記についてですが……





よく考えると、「ごおう」っていうのはなかなかローマ字表記が難しい名前です。

Oが2つ繋げる表記方法であったり、アポストロフィ(’)を使ったりと、単にjinjaをローマ字表記するか、Shrineをjinjaの後に付けるかというだけでなく、同じ母音が重なった場合の英語表記方法が見られました。

どう表記するのが、一番読み易いのでしょうかね……。

Goou?Go'o?

ちなみに、私の持っている書籍の中には、護王神社が載ったものはありませんでした。

八坂神社や平安神宮等と知名度だけで比較すると、どうしても知られていないと言わざるを得ません。



今回はここまでにしたいと思います。

ゆっくり更新する時間が取れずに、思い悩む毎日です……orz。

それでは、お読みいただきありがとうございました。



-Good English, Good Japan-
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