2016/02/15

大阪城の英訳 -大阪府-

このエントリーをはてなブックマークに追加
今回は京都、奈良という宗教都市を飛び出し……




大阪府の 大坂城 を採り上げたいと思います。


高層ビルが立ち並ぶ大阪市の中央区にドーンとそびえる天守閣が大阪城の特徴です。

今回、神社仏閣という枠を飛び越えて、城を採り上げますが、昨今の歴史ブームの高まりは神社・寺・城、この3つの存在が大きいと個人的には思っています。



では、大阪城の歴史について……

大坂城/大阪城(おおさかじょう)は、摂津国東成郡大坂(現在の大阪市中央区大阪城の大阪城公園)にあった安土桃山時代から江戸時代の日本の城および、由来する大阪市の地名である
別称は金城あるいは錦城という。近代以降、「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。

通称「太閤さんのお城」とも呼ばれているが、現在、地表に見える大阪城の遺構は江戸時代のもので、1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣なども全て徳川氏、江戸幕府によるものであることが確認された。
(引用:Wikipedia)


初代大坂城の天守閣は1615年の大坂夏の陣で焼けてしまい、現在の天守閣(石垣含め)は江戸時代に建てられたものだそうです。

私も戦国時代(厳密に言えば、安土桃山時代、大坂の陣に至っては江戸時代前期ですが)は大好きですが、やはり大坂城といえば、戦国時代の終焉の地……。

豊臣という色を完全に払拭したこの二代目大坂城には、適切な言葉が思い浮かびませんが、感慨深いものを感じました。 


では、早速大坂城の英語表記、見てみたいと思います。




上が日本語版リフレット、下が英語版リフレットです。

大坂城の入場受付を入ってすぐの所に置いてあります。

清水寺を Kiyomizu Temple、八坂神社を Yasaka Shrine と英語表記するように、大坂城の英語表記は OSAKA CASTLE となっていました。

大坂城をローマ字表記すると、Osakajo(jo=城 と強調するならば Osaka-jo)となりますが、いわゆる固有名詞部分(Osaka)と普通名詞部分(jo)とが分けられるため、このような英語表記になっていると考えられます。


しかし……







大坂城近辺の看板の表記は実は定まっていなかったりします……。

Wikipediaには、周辺地域の名前としても大坂城という固有名詞を使用するとのことですが、1枚目から3枚目の看板は大坂城公園駅および大阪城公園内にあった案内看板で、4枚目は大阪ビジネスパーク駅にあった案内看板です。

(個人的には、大阪城ではなく大坂城という漢字表記のほうが好きなのですが……。坂を用いる表記の方が古い表記ですが、ここは自分の好みを押し通したいと思います(笑)。)


大坂城公園の英語表記が「Osaka Castle Park」、「Osaka-jo Park」、「Osakajo Park」と三種類見受けられました。

ハイフンは

①一つの固有名詞が固有名詞部分と普通名詞部分に分けられること(大坂城→Osaka-jo)を示したり、②音の区切りや発音方法を分かりやすくしたりする(教王護国寺→ Kyo-o-gokokuji)役割が考えられます。


ハイフンの有無で大きく意味は変わりませんが、4枚目の看板において、「Osaka-jo park」と「Osakajo」とを同じ看板、しかもすぐ上下に載せていると、私はどうしても違和感を持つのですが……。

大坂城というのが地名として用いられている事実があり、それを守ろうとしたのならば、どちらかと言えば大坂城公園を Osakajo park と英語表記して、大坂城を Osaka-jo とすべきだと思いますが……。



次に、大坂城公園と大坂城ホール(1枚目の看板)、二つの英語表記を見比べてみると……

大坂城公園の「大坂城」は Osaka Castle、大坂城ホールの「大坂城」は Osaka-jo となっていますが、この二つの固有名詞における「大坂城」の意味の違い、すなわち異なる英語表記をしなければならない理由は何なのか。

大坂城ホールはコンサートやスポーツ競技などで利用されている多目的ホールです。

仮にこの大坂城ホールを Osaka Castle Hall と英語表記すると、大坂城にまつわる歴史的資料なんかを展示しているホールのように感じませんか?(ちなみに、歴史的資料は大坂城天守閣でたっぷり見れます。)

この1枚目の看板の英語表記を考えた方が、上記のような理由で大坂城公園との英語表記に違いを設けたかどうかは分かりませんが……違いを設けた結果、この英語表記はこれで成功していると言えるのかもしれません。


今回は少しテーマを変えて、城を採り上げてみました。

まだまだ観光地として有名な城は日本に沢山ありますので、追々採り上げていけたらいいなと考えております。

今回の大坂城ですと、やはり大きくて立派な天守閣や石垣は魅力満点ですね。




Osaka-jo Castle is one of the most famous castles in Japan, located in Osaka city.
This castle was built by Toyotomi Hideyoshi.
In 1615, the Siege of Osaka in Summer(Osaka Natsu no Jin) happened and Toyotomi clan perished.
Because of this siege, the first main tower(Tenshukaku) of Osaka-jo Castle was burnt.
The present main tower or stone walls were rebuilt by Tokugawa clan.

The Siege of Osaka in Summer is called the last battle of Sengoku era.
Various theories exist and strictly speaking, this battle happens in Edo era(1603~1868).
So, it will be better and more interesting for those who get interested in Japanese histories, especially samurais, that this battle is called "the last battle of the samurai warriors".
Sanada Yukimura is one of the outstanding samurais in this battle and the most popular samurais.
I think that although Sanada Yukimura is not as famous as Oda Nobunaga and Toyotomi Hideyosi, he has heroism factors which Japanese like.

In the main tower of Osaka-jo Castle, you can see many materials about not only Sanada Yukimura but also many samurais in Sengoku era.
If you get interested in Japanese samurais, you should visit this castle "The Last Place of Sengoku era, Samurai warriors".



では、ここまでお読みいただきありがとうございました。



-Good English, Good Japan-
 
このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿